About HIROSHI FUJII~藤井 博 PART1

 

 

 

藤井 博 活動メモ

 1970年以来、最も「もの」派的な仕事を約10年。その後「見ること」を主題とした、木材と布による仕事を約10数年。現在は、それ以後に続く「視層絵画」と名づけられた新たな絵画を実験、創作し精力的に発表を行っている。

しかしながら、その作品の質が高いにもかかわらず難解とされ、無視され排除されて来たのである。よって一部の力ある(みることができる)作家たちの注目に反し、彼の批評はあまりにも少なく、未だ日本現代美術史において藤井博の位置づけと評価が困難であり定まっていないのが現状である。

 

 彼は既成の美術形式による表現を断念し、1970年から物質そのものの世界から、その公の表現活動を始めている。〈物の世界(自然)と心的な領域世界(心ー精神世界)の関りの根底を問い直すこと〉と彼は述べているが、ここで言う心的領域の根底とは人の心のない世界(私たちを存在へと引き渡す世界ーレィヴィナス)において心が発生する/せざるを得ないそこでの物質ー物体を存在との入り組んだ領域の事であるようだ。したがって、一般的な人間的(精神)世界と異なっていると念を入れて断っているのだが、そこから表現を発信しようとしていた訳であるから難解である。これは最も「言語化」しにくい言語の発生基盤であるからではないだろうか。[その為か、ほとんど理解されてこなかった(みえない)。しかしながら物質・物体・自然をあつかっても、当時の『もの派』のもつ東洋的観念性とその現代的感性的表現とは質が異なり、より根底的領域(心ー物質)へ入り込んでおり、その一貫性は、何故か欧米でも類をみない様に思える]。

約10年間、その事を中心に創作を続けるが、状況的に断念に追い込まれる。

 

 そして、そこにおいて問題として中心化するのは、人がものを〈みること・みえること〉ということの不可解さであった。その後、それを主題として約10年間、木と布(布は視線性をになう)による仕事が続く。

 合わせてその約20年間の徹底的な社会的疎外の中で、平面表現の方向〈絵画化〉への自己の仕事をある種の「時間化」〈一般的には作品の非時間化=永遠化とその保存〉の方向に血路を求めて現在に至っている。そのモチーフは今だに我々人間の〈みること・みえること〉そのもの、方法もそのことになっている。これは人の一生の行為の軌跡としては奇妙な一致であり、人生の皮肉を人に感じさせはしないだろうか。

 WEB 極北の表現 藤井博製作委員会 R.F